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大阪地方裁判所 平成7年(行ウ)86号 判決 1998年9月30日

原告

福山勝三

右訴訟代理人弁護士

村田浩治

武田純

小林徹也

被告

茨木労働基準監督署長

豊村昭則

右指定代理人

森木田邦裕

外五名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告が、原告に対し、平成六年一〇月二六日付でなした療養補償給付及び休業補償給付の不支給処分を取り消す。

第二  事案の概要

一  本件は、労働者災害補償保険(以下「労災保険」という)の特別加入者である原告が、ダンプトラックの運転という過重な業務に長年従事してきたため、基礎疾患として高血圧症を有するに至り、業務中の事故により右高血圧症の自然経過の増悪を超えて脳出血を発症させたとして、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく療養補償等の給付請求をしたところ、平成六年一〇月二六日付で業務に起因することが明らかな疾病に当たらないとして保険給付を支給しない旨の処分を受けたことから、その処分の取消しを求めた事案である。

二  争いのない事実

1  原告は、いわゆる「一人親方」のダンプトラック運転手であるが、訴外全日自労建設農林一般労働組合関西ダンプ支部組合員であるところ、同組合が労働者災害補償保険の特別加入手続をしたことにより、同保険給付の受給資格を有する特別加入者(労災保険法二七条三号)となった者である。

被告は、茨木市等の地域を管轄する労働基準監督署長である。

2  原告は、昭和四五年頃からダンプトラックの運転手として生計を立ててきており、昭和四八年頃からは訴外大龍産業株式会社(以下「大龍産業」という。)の専属となり、主として建設現場から発生した土砂や建設資材の運搬に従事していた。

また、原告は、かねてから高血圧症に罹患していたが、平成元年ないし平成四年にかけて受診した健康診断における血圧測定及び尿蛋白の検査結果は次のとおりであった。

(受診年月日  医療機関

血圧測定血(ミリ水銀柱)尿蛋白)

平成元年一月一〇日 大東保健所   一四四/九九 −

平成二年一月一九日 右同      一五一/九六 +−

平成三年三月二〇日 田中医院    一六二/一一〇−

平成四年一一月一五日北村クリニック一四〇/九〇 +

原告は、平成五年六月二三日、奈良県生駒市小倉寺町近傍の阪奈有料道路第二トンネル(以下「阪奈トンネル」という。)工事現場から出たずりをダンプトラックに積載して大阪府大東市北田原町の阪奈建材第二置場(以下「第二置場」という。)まで運搬する業務に従事していたところ、同日午後三時三〇分頃、ずり運搬中に右脳出血(以下「本件疾病」という。)を発症し、付近のガソリンスタンドまでは辿り着いたものの、同所から救急車で医療法人徳州会野崎病院(以下「野崎病院」という。)に搬送された。

3  原告は、被告に対し、本件疾病は業務に起因するものであるとして、療養補償給付及び休業補償給付の請求をしたが、被告は、平成六年一〇月二六日、本件疾病が、業務に起因することの明らかな疾病と認めることはできないとして右請求にかかる給付を支給しない旨の決定をした。

原告は、右処分を不服として、平成六年一二月二〇日、大阪労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、平成七年七月三一日付で右審査請求棄却決定がなされ、更に、同年九月五日、労働保険審査会に再審査請求をした(なお、この再審査請求に対しても、本件継続中の平成九年一二月二六日請求棄却の裁決がなされている。乙四五)。

第三  本件の争点

本件の争点は、原告の本件疾病が、同人の業務に起因するものといえるか、という点にある。

一  原告の主張

1  労災補償制度における因果関係の考え方について

(一) 労基法七五条にいう「業務上、負傷し疾病にかかった場合」に当たるか否か、すなわち業務起因性の判断は、労働基準法(以下「労基法」という。)に根拠をおく労働災害に関する因果関係の問題である。民法上の不法行為法が対等な市民間の損害の公平な分担を行うための制度であるのに対し、労災補償制度が、労働者の労働条件の最低基準を定立することを目的として、疾病等が業務上であることのみを要件に療養補償等を行う労基法上の法定救済制度であることからすると、業務起因性の判断は民法上の因果関係の判断とは判断基準を異にし、緩やかに解されるべきである。かかる観点からするときは、業務起因性とは、業務と疾病の発症との間に合理的関連性があることをいい、当該業務に従事したために基礎疾患を悪化させて発症に至ったことが推定されれば足りると解すべきである。

仮に相当因果関係が必要であるとしても、労災補償制度の趣旨を十分に斟酌した判断がなされるべきである。

(二) 被告は、平成七年二月一日基発第三八号「脳血管疾患及び鋸性心疾患等の認定基準」(以下「認定基準」という)に沿って本件の業務起因性判断を行っているが、認定基準は、類型的画一的判断を求められる行政段階の基準に過ぎず、裁判所を拘束するものではない。

認定基準にいう業務過重性や突発的で異常な出来事を判断するにおいては、個々の労働者にとっての業務過重性や個別的な労働者の身体的状態を前提とした判断を行うべきである。

2  原告の高血圧症の程度

原告の本件疾病は高血圧性脳出血である。高血圧性悩出血は、根本的には高血圧症を原因として発症するものであるが、原告が罹患していた高血圧症は、以下のとおり、日常生活に通常伴うストレスによって脳出血を発症させるほど重症のものではなかった。

(一) 原告の健康診断における血圧等の測定値

日常生活に通常伴うストレスによって脳出血が発症する程度の重度の高血圧症であれば、発症前段階において、医師が、食生活における指示、注意を超えて、定期的な通院の指示、降圧剤の服用などの治療が必要と判断することは明らかであるが、原告は、これまで医師から高血圧症の治療を行うよう指示されたことはない。

そして、一般的な医療現場で用いられている高血圧症の程度を判定する基準によれば、原告が、平成元年から平成四年にかけて受診した健康診断における前記血圧測定値のうち、「要医療」に該当するのは平成三年の最低血圧の測定値のみであり、他は「要指導」の段階に止まる。

また、医療を必要とするか否かの判断は血圧値のみならず、総コレステロール値、HDLコレステロール値なども含めた総合的な判断によるべきものであるところ、平成四年の北村クリニックにおける健康診断ではHDLコレステロール値も七〇ミリグラム/デシリットルと測定されており、「異常を認めず」の範囲内である。

さらに、尿蛋白の測定結果でも、平成四年以外はいずれも「異常を認めず」の範囲内にある。

平成四年は尿蛋白が認められているが、尿蛋白の出現は疲労の蓄積等の原因によってもしばしば観察されるところであるし、これが腎臓等の臓器障害を示唆する所見であるとしても、臓器障害は様々な原因によって起こり得るものであって、平成四年の血圧測定値やHDLコレステロール値の測定結果からすると、同年の尿蛋白の出現が、高血圧症によって引き起こされたものと断ずる根拠はない。

被告は、血圧測定値の収縮期圧一五〇ミリ水銀柱以下、拡張期圧九〇ミリ水銀柱以下が正常であり、収縮期圧一六五ミリ水銀柱以上、拡張期圧九五ミリ水銀柱以上が高血圧であり、その中間にあるものは境界型であること、本態性高血圧の一般的経過として、三〇ないし四〇歳代からから動揺性に高血圧値を示すようになり、その後高血圧値が固定するようになることなどを判断基準として、原告が重症の本態性高血圧症であったと主張しているところ、この基準を適用しても、原告の測定値が収縮期圧、拡張期圧とも確定的な高血圧症の範囲内にあるのは平成三年の測定値のみであり、平成四年は正常であり、高血圧値の固定化現象もみられない。

(二) その他の医学的所見

被告は、原告が重度高血圧症であったことの根拠として、右血圧値以外にも、原告に陳旧性脳梗塞の痕跡があることや本件疾病発症後のCT所見において左心室の特異的肥大が認められることを主張しているが、陳旧性脳梗塞は中高年労働者にしばしばみられるものであり、しかも原告の病巣痕は本件疾病発症の反対側であって、これらから原告の高血圧症を重度と断定することはできないし、従前の健康診断におけるレントゲン検査等によって左心室の特異的肥大を指摘されたことはなく、発症後のCT所見から発症前から存したと結論づけることは不合理である。

3  原告の業務の過重性

(一) 本件疾病当時の過酷な勤務経過(業務の量的な過重性)

(1) 原告の本件疾病発症日及び発症前三か月間(平成五年三月二三日から同年六月二二日まで。以下「本件疾病発症前三か月間」というときはこれと同じ。)の大龍産業での就業状況は別紙運搬状況一覧表のとおりであり、右期間九三日中、稼働日数は七〇日に及び、一か月(三〇日)平均22.6日稼働していた。

また、発症前一〇日間(発症当日を除く同年六月一三日から同月二二日まで。以下「本件疾病発症前一〇日間」というときはこれと同じ。)の労働時間は合計九一時間二〇分であり、休日を除くと一日の平均労働時間は一〇時間八分となって一〇時間を越える長時間労働となっている。更に、出勤から退勤までの拘束時間は合計一〇一時間二〇分であり、一日平均一一時間一五分と極めて長時間拘束されている。

しかも、就労中、原告には休憩時間はなく、昼食もずり積載中の手待ち時間を使って車中ですませるなどしていた。

(2) 原告は、右以外にも、記録には残っていない現金払いのアルバイトとして、大龍産業での作業の合間に阪奈建材に臨時に依頼されて生駒霊園や阪奈カントリーに砕石を運搬する作業を行っていたほか、大龍産業の仕事が終わった午後五時以降、次のような仕事をしていた。

ア 大阪府大東市龍間の阪奈建材第一置場(以下「第一置場」という。)で割った石を場内のストック場に移動させる作業(四、五日に一度)

イ アスファルトを法隆寺方面のプラントから北田原町にある国道一六三号線沿いの通称イモ山へ運搬する作業(一往復三、四時間の二往復)

ウ 和歌山方面までグランド用の山土を運ぶ作業(夜間走行して翌朝帰宅)

(3) 原告は、平成五年の四月二九日は阪奈トンネルの切削完了式典の準備のために出勤したほか、しばしば休日を使ってダンプの整備等の作業を行っていた。

(4) なお、原告のように、一人親方の特別加入者であっても、労働時間を自由に設定することは困難であるし、労基法は労働者の労働条件の最低限を規定しているものであるから、原告の業務の過重性を判断するうえでは同法を基準とすべきところ、これによれば、一日平均一〇時間以上の労働時間は、一日当たり八時間を限度としている同法三二条に違反しており、業務の過重性は明らかである。

また、平成三年一〇月三〇日付労働省告示第七九条(以下「改善基準」という。)は、自動車運転者の労働条件の向上を図ることを目的として、使用者にその指標を示しており、その中で連続運転時間は四時間を超えないこととしているが、殆ど休息をとることなく運転業務に従事している原告の業務は、右改善基準にも反している。

(二) ずり運搬トラック自体の危険性(業務の質的な危険性)

原告が従事していたずり運搬業務は次のような大きな精神的負荷を伴うものであった。

すなわち、原告のダンプトラックの法定積載量は七トンであるところ、現場では常にこれを超える約二二トンのずりを積載させられるという実態があり、また、路上にずり等を落とすと道路交通法違反となり、免許停止等の処分を受けることは運転手にとって死活問題になりかねない。このような事情もあって、ずり積載時には荷台のシートやロープの破損がないか点検し、走行開始前に急ハンドルを切って落下しそうな石を予め落としたり、水を含んだ土砂の場合は荷台を上下して水を落としたりする作業が必要になり、運搬中も、ずりの落下防止のため、急ハンドル、急ブレーキにならないよう注意して走行する必要があり、また、ずりを降ろす際も荷台の破損やトラック自体の転倒がないよう自車や周囲の状況に配慮しながら作業する必要があり、さらに、走行前には、タイヤが破損したり、道路を汚したりしないようタイヤに挟まった石や土を除去することも必要であった。

(三) 本件疾病発生前の増加した業務量(日常業務に比較して特に過重な業務)

原告のずり運搬先は、平成五年六月七日以降、第一置場から第二置場へ変更になったが、これにより、原告の業務にも次のような変動が生じた。

(1) 一日平均の走行距離が増加した。すなわち、記録に残る原告の搬送先から走行距離を算出すると平成五年三月一六日から本件疾病発症日までの原告の走行距離は別紙走行状況一覧表(原告作成資料を被告において一覧表形式にまとめたもの)のとおりであるが、これによると平成五年三月二三日から同年六月三日までの平均走行距離は約170.4キロメートルであったものが、同年六月七日から本件疾病発症前日の同月二二日までの平均走行距離では約178.9キロメートルに、また、発症前一〇日間(同月一三日から二二日まで)でみると平均走行距離約190.1キロメートルに増加した。

(2) 休憩時間が減少した。すなわち、原告には厳密な意味での休憩時間はなく、ずり積載中の五、六分が運転をしなくてすむという意味で休憩できる時間であったところ、運搬先がより遠方の第二置場に変ったことによって、それまで一日約一一回の運搬が可能であったものが、約八回の運搬が限度となり、この運搬回数の減少により、積み込み回数も減少し、その結果原告が休憩できる時間も減少した。

(3) 搬出先の変更により、走行経路が変わり、これに伴って、信号設置箇所が従前の一二箇所から三〇箇所へと増加し、また、ずりを積載して走行しなければならない往路の下り坂の距離も増加した。重量のある貨物を積んで下り坂を下ることは、ベーパロック現象(ブレーキを踏み続けることによる加熱のため、ブレーキが利かなくなる現象)を起こす危険があり、他方、低速ギアでエンジンブレーキに頼りすぎるとエンジンを破損することになりかねない。これらによる精神的負荷の増大は大きい。

(4) 原告の報酬は、ずり運搬回数に応じて支給されていたところ、運搬先の変更により一回の走行距離が延びたことによる単価の増額が見込まれるとしても、一日に運搬できる回数が大幅に減少し、減収が懸念される状況であって、このことが原告の精神的負荷を増大させることになった。

4  業務に起因する異常な出来事の発生

(一) 本件事故状況

原告は、平成五年六月二三日午後三時三〇分頃、ずりをダンプトラックに積載して阪奈道路生駒市俵口付近を東から西へ向け、片側二車線の左車線を走行中であり、同所付近は谷状となっていたことから、登りに備え、加速を始めた。しかるに、そのとき、生駒インターからきた乗用車が阪奈道路へ入ろうとして原告の左側から前方に急に割り込んできた。原告は、自車及び割込車の右側車線に他の自動車がいたことから、右側車線に移ることができず、急ブレーキをかけたものの、加速していたことから急には減速することができず、左にハンドルを切って衝突を回避した。このため、原告運転のダンプの前輪が道路左側の歩道の縁石に接触し、その衝撃で原告はハンドルで腹部を打ち、更にその反動で頭を後ろにぶつけるという接触事故に遭遇した。

右事故の発生は、生駒警察署において交通事故証明書が発行され、原告が加入していた搭乗者傷害保険や自損事故の保険金が支給されたことからも明らかである。

原告は、右事故後そのまま走行を続けたが、約一キロメートル走行した付近でギアチェンジをしようとして左手に十分力が入らないことに気付き、さらに約二キロメートル走行した頃には左手はほとんど動かなくなっていた。生駒山上のガソリンスタンドまでたどり着いた原告は、自力で自動車から降りることもできず、救急車で野崎病院に搬送された。

(二) 本件事故の異常性と本件疾病の発症

ダンプトラックの運転は、普通乗用車と比較してその巨大な重量から、事故時にはその規模が重大になりかねない危険をはらんでおり、急な割込等に対して非常な精神的緊張を強いられる。

本件で、原告は割込者により衝突の危険を感じ、急ブレーキをかけるとともにハンドル操作で衝突を回避しようとして、自車前輪を縁石に接触させる事故を起こしたのであり、その状況は極めて切迫したものであり、原告にとって極度の緊張を伴う出来事であった。

このような緊張した精神状態の下で急激な血圧上昇が引き起こされ、それが脳出血の引き金になることは医学上一般に認められていることである。

従って、本件疾病の発症は、右接触事故による血圧上昇が直接の原因となって引き起こされたものと考えるのが相当である。

被告は、原告が熟練運転者であったこと、本件事故現場付近は通り慣れた場所であったことなどから、突然の割込やそれに続く接触事故を予見可能であったとして、異常な出来事ではないと強弁するが、被告の主張は、一般的抽象的な予見可能性をもって、本件事故の具体的予見可能性とすりかえるものであり、原告は、本件事故の発端となった急な割込を予見できなかったからこそ、現実にこれに遭遇したものである。

被告は、本件疾病発症後の症状の出現経過が早すぎるとして、原告が割込乗用車を見落としたのは、当時既に本件疾病を発症していて、その結果、原告に視野欠損が生じていた可能性が高いと指摘するが、視床出血から短時間内に麻痺が出現する症例は珍しいものではなく、視野欠損の可能性は根拠のない仮説に過ぎない。

5  結論

以上のとおり、本件疾病は、原告がダンプトラックの運転という過重な業務に永年従事してきたため高血圧症を有するに至り、さらに業務中の事故に遭遇したことよって、その自然経過の増悪を超えて発症させるに至ったものであるから業務起因性を有することは明らかである。

二  被告の主張

1  業務起因性の判断基準

(一) 労基法上の災害保証責任は、使用者が、支配従属関係のもとで労働者に労務を提供させることから、事業に内在又は通常随伴する危険が現実化して労働者に負傷又は疾病が発生した場合、使用者自らに過失はなくとも、労働者が被った損害を填補させるべきであるとするものであり、労災保険法による保険給付は労基法上の災害補償責任を担保するためのものである。

従って、労働者の疾病が労災保険法による保険給付の対象となるには「業務上」の事由によることを要し(労災保険法一条、七条、一項一号)、右「業務上」とは当該業務と疾病との間に条件関係のみならず、法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係、すなわち、当該疾病が業務に内在し通常随伴する危険の現実化として発生したという関係が必要というべきである。

(二) ところで、業務上の事由による疾病については、労基法七五条二項に基づいて規定された同法施行規則三五条別表第一の二各号がこれを類型化しており、特定の業務との因果関係が医学的知見により認められていない脳血管疾患等は、右類型によれば、九号「その他業務に起因することの明らかな疾病」として扱われることになる。

これは、脳血管疾患等が、加齢や日常生活上の諸々の活動等によって生体が受ける負荷により、その基礎疾患となる血管病変等が増悪して発症し得るものであり、特定の業務が固有の有害因子を有しているとは認められていないことによるものである。従って、右脳血管疾患等について労災保険法上の相当因果関係を認めるためには、被災者側において、当該業務による生体に対する負荷が、諸々の原因のうち、相対的に有力な原因となって発症の基礎となる血管病変等を、その自然経過を超えて急激に著しく増悪させた結果、発症したことを主張立証する責任があるというべきである。

(三) この点に関して、昭和五七年に労働省に設置された各分野の医学者からなる「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」が、脳血管疾患及び虚血性心疾患についての医学的知見を「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱に関する報告書」としてまとめているところ、右報告書によれば、脳、心疾患は、その発生の基礎となる血管病変等の自然経過中に、著しく病変を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷、すなわち、過重負荷が加わることによって、その自然経過を超えて急激に発症することがあり、医学経験則上、業務による明らかな過重負荷として

(1) 業務に関連する異常な出来事への遭遇

(2) 特に過重な業務に従事したことを挙げている。

このような医学的知見によれば、本件疾病のような脳血管疾患について業務起因性があるというためには、右の過重負荷に該当する事由が認められることを要するというべきである。その際、「特に過重な業務」か否かの判断においては、他の日常生活上の要因も競合していることを考慮すると、当該業務が他の考え得る要因と比較して相対的に有力な原因となっていることが必要であると解すべきである。

2  原告の業務の過重性

(一) 原告の就労状況

原告の本件疾病発症前三か月間の大龍産業での就労状況は、別紙運搬状況一覧表のとおりである。

また、本件疾病発症前一〇日間の具体的な就労経過は別紙就労経過一覧表のとおりであり、出勤時間は午前六時三〇分から午前七時までの間であり、退勤時間は午後五時三〇分から午後六時までの間であって、勤務時間はほぼ一定であった。

(二) 運搬先の変更に伴う走行距離の増加について

原告は、別紙走行状況一覧表に基き、平成五年六月七日の運搬先の変更により、その後の一日当たりの平均走行距離が増加したと主張するが、同一覧表によれば、

(1) 平成五年六月七日から同年六月二二日までの間の走行状況は、運転日数一〇日、運搬回数八〇回、総走行距離1788.8キロメートル、一日当たりの平均走行距離178.9キロメートルであるのに対し、二か月前の同期である同年四月七日から同月二二日までの間の走行状況は、運搬日数一四日、運搬回数一二六回、総走行距離2228.8キロメートルであり、一か月前の同期である同年五月七日から同月二二日までの間の走行状況は、運搬日数一三日、運搬回数一〇二回、総走行距離1853.4キロメートルとなっており、運搬日数、運搬回数、総走行距離とも過去の同期の方が上回っているし、一日当たりの平均走行距離をみても、同年三月一六日から同月三一日までの一六日間をみると、運搬日数一四日、運搬回数一四九回、総走行距離二六四五キロメートル、一日当たりの平均走行距離188.9キロメートルであって、同年六月七日以降の平均走行距離を上回っている。

(2) 本件疾病発症前一〇日間(平成五年六月一三日から二二日)で比較しても、右期間の走行状況が、運転日数六日、運搬回数五二回、総走行距離1140.8キロメートル、一日当たりの平均走行距離190.1キロメートルであるのに対し、二か月前の同期である同年四月一三日から同月二二日までの間の走行状況は、運搬日数九日、運搬回数七六回、総走行距離1328.8キロメートルであり、一か月前の同期である同年五月一三日から同月二二日までの間の走行状況は、運搬日数八日、運搬回数六二回、総走行距離1146.0キロメートルとなっており、運搬日数、運搬回数、総走行距離とも過去の同期の方が上回っているし、一日当たりの平均走行距離をみても、同年四月五日から同月一四日までの一〇日間をみると、運搬日数九日、運搬回数一〇九回、総走行距離1720.8キロメートルであり、一日当たりの平均走行距離191.2キロメートルとなって、同年六月一三日以降の平均走行距離を上回っている

さらに、同年五月二三日から六月一二日までの運行日数五八日のうち、190.1キロメートルを超えて走行している日数は二〇日を数える。

(3) 本件疾病発症前の走行距離を月平均で見ても、同年四月は運転日数二三日、運搬回数二一六回、総走行距離3834.2キロメートル、一日当たりの平均走行距離166.7キロメートル、同年五月は運転日数二〇日、運搬回数一五三回、総走行距離2769.4キロメートル、一日当たりの平均走行距離138.5キロメートルであり、同年六月(ただし、同月二二日まで)は運転日数一三日、運搬回数九七回、総走行距離2094.8キロメートル、一日当たりの平均走行距離161.1キロメートルであって、同年四月と六月は同水準である。

以上によれば、原告が本件疾病発症前に従事していた業務は、それまでの日常業務に比較して、何ら変化はなく、到底過重であったとはいえない。

(三) 労働時間等について

原告は、本件疾病発症前一〇日間の、一日当たり平均労働時間が一〇時間八分と長時間労働となっており、拘束時間も一日当たり一一時間一五分と極めて長時間であったと主張する。

ところで、前記改善基準は、貨物自動車運送事業に従事する自動車運転者について、①拘束時間は二週間について一四三時間、四週間について二七三時間を越えないものとすること、②一日についての拘束時間は一三時間を超えないものとし、当該拘束時間を延長する場合であっても最大拘束時間は一六時間とすること、③勤務終了後、継続八時間以上の休息期間を与えること、④運転時間は二日を平均し、一日当たり九時間、二週間を平均し一週間当たり四四時間を超えないものとすること、⑤連続運転時間は四時間を超えないものとすること、と定めているところ、別紙就労経過一覧表からみて、原告の出勤から退勤までの拘束時間及び退勤から翌日の出勤までの休息時間は、別紙休息時間及び拘束時間一覧表のとおりであり、これによると、原告の本件疾病発症前一〇日間については拘束時間及び休息時間とも改善告知の定める範囲内であり、十分な休息も確保されていたものというべきである。

また、別紙就労経過一覧表を検討すると、阪奈トンネルと阪奈建材第一置場もしくは第二置場間の一回のずり運搬に要する所要時間がそれぞれ約四〇分もしくは一時間であることに照らし、これを大幅に越える運搬や空白時間が随所に見られ(平成五年六月一五日の午後二時から午後三時三〇分までの一時間三〇分と同日午後三時三〇分から午後四時五五分までの一時間二五分、同月一六日の午前一〇時四五分から午後一時一〇分までの二時間二五分、同月一七日の午前一一時三三分から午後一時三五分までの二時間二分、同月一八日の午後零時二〇分から午後二時四〇分までの二時間二〇分、同月二一日の午前一一時三三分から午後一時二〇分までの一時間四七分間、同月二二日の午後一時から午後二時四〇分までの一時間四〇分、同月二三日の午後〇時二〇分から午後一時五分までの四五分間)、これらは休憩時間を含むものと考えるのが相当であるし、ずり積載中には一二ないし一四分の待機時間もあり、これは連続運転を四時間に制限した前記改善告示の非運転時間に該当するものというべきである。

(四) 原告の臨時業務について

原告は記録に残らない臨時業務があったとも主張するが、具体的な業務内容を裏付ける客観的な証拠はなく、本件発症当時、原告が臨時業務を行っていたとは認められない。

(五) 結論

以上によれば、原告の勤務形態は毎日ほぼ一定であって、本件疾病発症前に走行距離が以前に比べて増加したなどの勤務内容の変化はなく、労働時間も適宜休憩をとって長時間労働を余儀なくされていたわけではないなど、原告の業務が日常業務と比較して「特に過重な業務であった」とは認められない。

3  原告の日常業務が本件疾病発症原因となるか否かについて

(一) 原告の高血圧症の程度

高血圧症の一般的経過については、東京大学三内科の重症度分類として、動揺性に高血圧値を示すようになる第一期、高血圧値が固定するようになる第二期、各種の臓器障害を伴うようになる第三期に分類されるところ、原告については、前記健康診断における血圧測定値が収縮期圧一四〇ないし一六二、拡張期圧九〇ないし一一〇といずれも高い数値を示していること、本件疾病の発症を除くとしても、尿蛋白が動揺性に現われており、本件疾病後に撮影された頭部CT写真によって陳旧性脳梗塞を発症していたことが確認され、平成五年六月二四日撮影された胸部CT写真において左心室肥大が認められること、さらに本件発症後入院治療を受けていた野崎病院において継続的に降圧剤が投与されていることからして、原告はかなり以前から高血圧症に罹患していたもので、その程度は第三期にあった。

従って、本件疾病は高血圧症の自然経過の中で起こるべくして起きたものである。

(二) 原告の運転業務に内在する本件疾病発症の危険性やストレスについて

(1) ダンプトラック運転業務一般について、脳出血等の危険を内在した業務であることを証明する疫学的研究はなく、仮に運転労働に過重性が伴うときはその危険を内在するということがあるとしても、前記のとおり、本件疾病発症時の原告の業務は日常の業務に比較して特に過重なものではなかった。

(2) 原告の業務に伴うストレスが本件疾病を発症させた可能性についても現在の医学的知見から見て、ストレスが脳出血発症の原因となり得ることがあるとしても、その作用機序は不明であり、ストレスが他の発症因子に比べてどの程度大きな影響を及ぼすか、ある特定の個人の脳出血発症にどのように関与しているかは全く明らかではなく、従って、長年のダンプトラック運転業務が、基礎疾患たる高血圧症及び本件疾病を引き起こしたとする原告の主張は根拠がない。

4  他車の危険な割込及びその後の縁石への接触事故について

(一) 原告が主張する危険な割込の不存在

原告は阪奈道路生駒インター付近で乗用車の無理な割込があったと主張するが、同所付近は見通しの良い直線道路であり、本線に沿って進入車輛のための進入路が設置されており、同所付近を通過する自動車運転者としてはインターチェンジから進入してくる車輛に十分注意して走行するのが通常であり、しかも原告が割り込み地点として指示する場所は進入路終わり付近であること、原告が割込車の速度は自車より遅かったと述べていることからして、割込車は原告車の左前方を走行していたはずであり、原告がそのような自動車の存在に気付かなかったというのは不自然である。

生駒警察署の事故証明は、大東市消防署長の搬送証明書及び病院での入院証明に基づいて、現場検証もすることなく発行されたもので、割込を証するものとはいい難いし、原告が受領した搭乗者傷害保険や自損事故保険は、いずれも、第三者による加害行為を支給要件とするものではないから、その保険支給の事実は危険な割込があったことの根拠とはならない。

(二) 割込と本件疾病発症との因果関係

仮に、原告が主張するような割込があったとしても、前記のとおり、通常であればそのような割込は予見できたはずであり、原告がこれを予見できなかったのは、脇見運転をしていたか、原告の身体に既に異常が生じていたかしか考えられないが、現場付近の状況からして、原告が脇見運転をしていた可能性は低い。

これに対して、第一に、脳出血の症状は数分から数時間にかけて進行する急速進行型の症状出現形式をとるのであるが、その経過は出血部位によっても左右され、視床出血では、発症直後は明らかな症状はなく、時間の経過とともに運動麻痺等が明らかになってくることが多い、とされているところ、原告が主張するように、事故後約一キロ走行した付近で左手の運動麻痺が生じたとするならば、走行速度を時速六〇キロメートルとして一分くらいしか経過していないことになり、通常の脳出血の症状進展状況からみて出現時期が例外的に短いことになる。

第二に、視床出血の場合、半盲が初期に明瞭で早期に消えるとされており、原告についても視床部における脳出血による血腫の進展によって右外側膝状体の機能が障害され、交叉性に反対側の左側視野の情報伝達が遮断されて左側の視野欠損が生じたため、左側から自車前方に進入してきた乗用車の発見が遅れ、突然の割込と認識したことが考えられる。

以上によれば、事故そのものが脳出血の結果として発生した蓋然性が高いというべきであって、原告が乗用車の無理な割込があったとする時点では既に脳出血を発症させ、視野欠損等の身体的異常が生じていたと考えることによって、右事故の原因を合理的に説明できるというべきである。

5  したがって、原告の本件疾病発症については業務起因性は認められない。

第四  争点に対する判断

一  業務上外の認定基準について

労災保険法は、労働基準法所定の災害補償事由が生じた場合に保険給付を行うこととしているから(労災保険法一二条の八第二項)、被災者の疾病が保険給付の対象となるためには、右疾病が労働基準法七五条一項の業務上の疾病に該当することを要する。右業務上の疾病の範囲は同法同条二項に基づく同法施行規則三五条が別表第一の二各号に具体的に規定しているが、本件疾病が同別表一ないし八号のいずれにも該当しないことは明らかであるから、本件疾病が保険給付の対象となるためには同別表九号にいう「業務に起因することの明らかな疾病」に該当することを要するものというべきであり、業務と疾病との間に相当因果関係の存することが必要であると解すべきである(最高裁判所昭和五〇年(行ツ)第一一一号・昭和五一年一一月一二日第二小法廷判決、裁判集民事一一九号一八九頁)。そして、労災補償制度が、業務に内在または通常随伴する危険が現実化した場合に、それによって労働者に生じた損失を補償するものであることに鑑みると、労働者が基礎疾患を有しており、これが一因となって災害が発生した場合に、業務と災害との相当因果関係を肯定するためには、業務に内在または通常随伴する危険が現実化して、基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させ、その結果災害が発生したことを要するものというべきである(最高裁判所平成六年(行ツ)第二四号・平成八年一月二三日第三小法廷判決、判例時報一五五七号五八頁、同平成四年(行ツ)第七〇号・平成八年三月五日第三小法廷判決、判例時報一五六四号一三七頁)。

以上の観点から、原告の本件疾病が業務に起因することの明らかな疾病に該当するか否かを検討する

二  原告の経歴と就労状況等

1  証拠(甲九、一〇、二九、乙一、九の一ないし一七、一〇の一ないし三〇、一一の一ないし四八、一二、一三、二四、二六、三一、検甲一ないし二七、原告本人)によれば、原告の経歴及び就労状況として以下の事実が認められる。

(一) 原告(昭和一七年二月二七日生)は、鉄工所勤務や自衛隊勤務等を経て、昭和四二年六月から大阪府大東市の樋口組でダンプトラックの運転手として稼働するようになり、昭和四五年二月に独立して一一トンダンプトラックを所有し、運送業を自営するようになり、昭和四八年七月からは大阪府大東市の大龍産業の専属としてダンプトラックによる運送業務に従事してきた。

(二) 原告は、平成元年夏頃から、大龍産業が下請けした阪奈トンネル工事に関与するようになり、主として同工事現場から発生したずりをダンプトラックに積載して搬出運搬する業務に従事していた。

ずりの運搬先は、平成五年六月七日以降変更になったが、それまでは概ね第一置場であり、変更後は第二置場となることが多かった。阪奈トンネル工事現場から第一置場に至る往路は、国道一六八号線を北上し阪奈道路を左折し、山上口インターチェンジを過ぎた付近で左折南進するというもので、その距離は約九キロメートルであり、復路はこれを逆進する。また、第二置場に至る往路は国道一六八号線から阪奈道路を経て山上口で右折北上し、再び国道一六八号線に出てこれを左折北上するというもので、その距離は約一四キロメートルである。第二置場からの復路は国道一六八号線をそのまま南下するものでその距離は約一〇キロメートルである。この運送経路の変更により、一往復当たりの走行距離が増加し、このため一日に往復できる運搬回数が第一置場のときが、一一回は可能であったものが、第二置場になってから七、八回と減少したほか、途中で遭遇する信号設置箇所(一二箇所から三〇箇所)や往路の下り坂も増加することとなった。

原告は、そのほかにも、第一置場と生駒市鹿畑町の学研都市、榁の木トンネル、阪奈カントリー等との間を往復することもあったほか、常用と称して阪奈トンネル工事現場内での運搬作業に従事することもあった。

本件疾病発症前三か月に相当する平成五年三月二三日から同年六月二二日までの大龍産業での原告の就労状況の概要は別紙運搬状況一覧表のとおりであり、同年三月一六日から同年六月二三日までの間に原告が大龍産業での運搬業務に従事した日数、運搬回数、走行距離は、別紙走行状況一覧表のとおりである。

工事が休みになる日曜日等は、原告も就労していないが、ダンプトラックの洗車や整備はこの休みの日を利用して行っており、平成五年の五月の連休のうちの一日、六月五日又は六日のいずれか、及び、同月一九日又は二〇日のいずれかは整備に費やしたほか、同年四月二九日は、工事現場の式典の準備のため現場の草むしりなどに従事した。

(三) 原告が本件疾病発症前一〇日間に相当する平成五年六月一三日から同月二二日までの大龍産業で就労した経過の詳細は別紙就労経過一覧表のとおりであり、これによると、午前六時三〇分ないし午前七時までの間に大龍産業事務所に出勤し、同所に置いているダンプトラックの点検後、第二阪奈トンネル工事現場へ行き、体操やミーティングを経て運搬作業にかかり、午後五時頃には運搬作業を終え、大龍産業事務所に戻って日報作成等を済ませ、午後六時頃に退勤するというもので、概ね一定していた。

なお、ダンプトラック運転手については、休憩時間は指定されていなかったが、第二阪奈トンネル工事現場では、八ないし一〇台程度のダンプトラックを使用してずりの搬出を行っており、積載場所は一、二か所、積載のバックホーは二台あったものの実働していたのは一台だけで、積み込みのためのかき寄せ等を含めると一台のダンプトラックが積載場所に入ってずりを積載し出発するまでに要する時間は概ね一二ないし一四分程度となり、運転手はこの積載時間や順番待ちの時間に適宜休憩をとることができた。

2  以上認定の事実に対し、前記のとおり、原告は、過積載を強いられることが常態となっていたことや大龍産業での勤務以外にもアルバイトとして臨時の業務に就労していたこと、ずり積載中の待機時間以外に休憩時間はなく、昼食をとる時間もなかったことなどを主張しており、これに沿う原告本人の供述や同人作成の陳述書(甲一〇)の記載もあるが、過積載の点については、積荷が岩石である場合、隙間が多くできるため荷台を改造しない限り法定積載量の三倍もの積載は不可能であるとする乙第三一号証(阪奈トンネル生駒JV工事事務所所長吉田の陳述書)の記載もあり、右原告の供述等のみからそのような実情があったとは認定することはできない。臨時業務についても、仮にそのような事実があったとしても、原告がいつ、いかなる臨時業務に従事したというのかその具体的な内容は全く不明であるから、業務の過重性判断の要素としてこれを考慮することはできない。さらに、休憩がなかったとの主張については、別紙就労経過一覧表によれば、阪奈トンネルと第二置場との一往復に要する時間(阪奈トンネル出発から次の出発までの間)は、短いときでは一時間を切るときもあるが、一時間数分程度を要している場合が最も多く、通常はその程度の時間を要するものと認められるところ、第二置場を往復した平成五年六月一六日の第四回目(午前一〇時四五分から午後一時二〇分まで)、同月一七日の第四回目(午前一一時三三分から午後一時三五分まで)の運搬などは二時間を超過しているほか一時間三〇分以上を要しているときも散見され、これらは時間帯や道路事情による時間差等を考慮したとしても、一往復に要する時間としては、通常の所要時間を大幅に超えており、そのうちには休憩時間も含まれていたものと推認される。

従って、臨時業務の存在や休憩時間の不存在をいう原告の右主張は採用できない。

三  本件疾病発症当日の状況

1  証拠(甲二ないし四、九ないし一二、二九、乙六、一二、一七の一および二、一八、一九の一および二、二三ないし二五、二七、二九の一ないし三、三〇、三四の一及び二、検甲一ないし三、証人大岸、原告本人)によれば、本件疾病発症当日の状況について、以下の事実が認められる。

原告は、平成五年六月二三日、午前七時頃、大龍産業事務所に出勤し、自動車の点検をして午前八時頃阪奈トンネルに行き、ラジオ体操、ミーティングなどをして、午前八時三五分頃から運搬作業にかかった。

当日の早朝、原告の通勤路となっている道路上でマイクロバスが横転し死傷者を出すという事故があり、右のミーティングでもそのことが取り上げられて安全確認の注意がなされた。

原告は、通常どおり、阪奈トンネルから第二置場及び第一置場へのずりを運搬する作業に従事し、午後三時一〇分頃、第二置場に向け第七回目の運搬のため阪奈トンネルを出発し、国道一六八号線を左折して阪奈道路を西進して行き、同日午後三時三〇分頃、途中にある生駒インターチェンジ付近に差しかかった。同所付近は片側二車線の直線道路で見通しはよく、すり鉢状の底地となっている。原告は、左車線を走行しており、同所付近で登りに備えて加速したところ、同インターチェンジの進入路終わり付近で、原告がそれまでその存在に気付いていなかった乗用車が原告のダンプトラックの直前に進入してきた。原告は、これを突然の割込と感じて、追突回避のため急ブレーキをかけたが、事前に加速していたため十分減速できず、他方右車線には原告のダンプトラックや割込乗用車と平行して走行していた自動車がいたため右車線に移動することもできなかったことから、咄嗟に左ハンドルを切り、自車トラックの左前輪を歩道の縁石に接触させた。原告は、その衝撃で腹部をハンドルで打ち、更にその反動で頭部を座席にぶつけたものの、ダンプトラックも停止することなく追突を回避できたことから、そのまま運転を継続し、しばらく走行したところでギアを入れ替えようとして左手左足に力が入りにくくなっていることに気付き、さらにしばらく走行して左手が殆ど動かなくなったが、辛うじて生駒山上のガソリンスタンドまで辿り着いた。その頃には、原告は、自力で降車することもできなくなっており、ガソリンスタンド従業員に介助されて降車し、間もなく意識を失い、救急車で野崎病院に搬送された。

野崎病院では右視床に出血が認められたことから右脳出血と診断され、入院治療を受けることになった。

なお、原告が接触事故を起こした場所とガソリンスタンドまでの距離は概ね三キロメートル内外である(この間の距離を計測した証拠はないが、甲九に添附されている図面によると山上口インターチェンジ付近の「共石」と記載されている箇所がガソリンスタンドであろうと推認され、右事故現場から「共石」間での距離は、目測で阪奈トンネルと第一置場間の距離の約三分の一であることから右のとおり推認できる)。

2  以上認定の事実に対し、被告は、急な割込や接触事故の存在を認めることはできないと主張しているところ、たしかに、道路上や原告のダンプトラックに事故の存在を示す痕跡は明らかには認められないし、原告が事故の存在の裏付けとして主張している保険給付は第三者による加害事故を要件とするものではなく、生駒警察署の事故証明も現場検証を経たものではないが、それ以外にも、原告が事故後最初に接触したガソリンスタンドの従業員が原告から走行中に「バウンドしてドシッとなってから左手がおかしくなった」と聞かされていること(乙一八)や、原告が事故に遭遇したという頃、車載無線で通信していた他の運転手が、危ない、当たるという原告の声を聞いていること(甲一一、乙二三、証人大岸)などが認められ、これらを総合すると、進入車に危険を感じて左ハンドルを切った結果接触事故になった旨いう原告の供述やこれと同旨の前記陳述書の記載はその大筋において信用できるというべきである。

四  高血圧性脳出血発症の機序及び原告の基礎疾患の程度

1  本件疾病が高血圧性能出血であることは当事者間に争いがなく、証拠(甲一四、一八ないし二三、二七、乙二〇の一および二、三二の一、三五、三六、三八、四六、証人佐藤、証人澤田)によれば、高血圧性脳出血発症の機序や原告の症状経過に関して次のとおりの医学的知見が認められる。

(一) 高血圧性脳出血とは、高血圧に基づく悩の血管病変が破綻して脳実質内に出血することであり、その発生機序は次のとおりである。すなわち、正常な悩血管は血圧値が五〇〇ミリ水銀柱にまで上昇しても破綻することはないのであるが、高血圧が長期間持続すると、脳内の細動脈の血管壊死(血漿性動脈壊死)を引き起こし、その部分は血管内圧によって限局的に拡張され、小さな瘤(微少動脈瘤)を形成するようになる。動脈瘤の血管壁は正常な弾力強度を失い、生理的な血圧変動の範囲内での内圧変動によっても破裂しやすい状態となり、その結果、何らかの理由による血圧上昇によって血管壁にかかる張力が増大しその血管壁の許容力をこえると破綻して出血に至ることになる。微少動脈瘤は多発することが多く、そのうちの単一の破綻は小出血巣を作るに過ぎないが、出血は周囲の脳動脈に攣縮を誘発し、連続して動脈瘤が破綻することによって大出血巣を形成するに至る。

脳出血の症状は一般に、数分から数時間をかけて進行する急速進行型(これに対し、症状が数分以内に完成するのが脳梗塞のような突発完成型であり、数時間ないし数日を経て完成するのが脳血栓症のような段階状進行型である。)に分類されており、その経過は出血部位によっても左右されるが、視床出血では、発症直後は明らかな症状はなく、時間の経過とともに運動麻痺が現われることが多い。また、視床出血ではしばしば半盲等の視野欠損が発生するが、一過性のものであるため患者の自覚がない場合がある。

(二) 血圧の正常値は、一般に、収縮期圧が一五〇ミリ水銀柱以下でかつ拡張期圧が九〇ミリ水銀柱以下と考えられており、収縮期圧が一六五ミリ以上または拡張期圧が九五ミリ水銀柱以上を示す場合は確定的な高血圧とされ、血圧値がその中間にある場合も境界型の高血圧とされている。

右のとおり、高血圧性脳出血の原因となる血管病変は高血圧の長期間の持続によって引き起こされるが、高血圧が安静時にも持続される場合を高血圧症といい、そのなかでも、血圧上昇を伴う身体的疾患がないなど高血圧の原因が特定されない場合を本態性高血圧症という。その成因は解明されていないものの、先天的に高血圧症をきたす素因があり、これに後天的な因子が加わって発症するというのが定説であり、後天的な素因としては第一に塩分摂取、これに次いで精神的及び身体的ストレスが影響を及ぼすものとされている。

これに関して、運転業務に従事する労働者の血圧値が、自動車運転中は一時的に上昇するという研究結果はいくつか報告されているものの、業種、業態、労働時間帯の相異などがあり、運転業務のいかなる要因が血圧上昇の原因となっているかは特定し難いのが現状であり、また、ダンプトラックの運転業務に脳出血の危険が内在するか否かについての疫学的研究は今のところ見あたらない。

(三) 高血圧症の一般的経過は、その素因の強度によって発症時期が異なるが、三〇ないし四〇歳代から動揺性に高血圧値を示すようになり(第一期)、その後次第に高血圧値が固定するようになる(第二期)。血圧値が高血圧状態に固定すると、心臓に対する圧負荷が増大して心肥大を起こすとともに、太い動脈には動脈硬化性変化を、細い動脈には高血圧性変化を起こすようになり、各種の臓器障害(高血圧性心肥大等の心疾患、高血圧性腎機能障害、脳出血、脳梗塞等の脳血管障害)を伴うようになる(第三期)。

(四) 原告が本件疾病発症前、高血圧症に罹患していたことは当事者間に争いがなく、その進行段階は、本件疾病を発症したことや過去の健康診断における診断結果、本件発症後の診断結果等からみて、本件疾病発症時には右第三期にあったものと判定され、さらに、本件疾病発症の基礎となった右視床の細動脈病変は、本件疾病発症部位以外にも陳旧性脳梗塞が認められていることなどからするとかなり以前から存在していたものと認められる。

また、本件疾病発症後の大阪府立成人病センターの診察で左外転麻痺が認められているが、このことは出血部位である右視床から血腫が下方に進展していた可能性が高く、その場合、右視床下部外側にある右外側膝状体が圧迫され、その機能が阻害されて交叉性に反対側視野の情報伝達が遮断され左側の視野欠損を生じる。従って本件疾病発症後、原告に左側の視野欠損が生じていた可能性は否定できない。

2  右認定事実に対して、原告は、従前の健康診断における健康測定値が未だ固定しているとはいえないこと等からみて、原告の高血圧症は未だ軽度の段階であって第三期と判定されるべきものではないと主張し、証人佐藤も、原告の高血圧症が重症とは考えない旨の証言をしている。

しかしながら、過去の健康診断における血圧測定値については当事者間に争いがなく、これによると、平成元年以降の血圧値は概ね高血圧領域にある高数値で推移しており、平成四年の北村クリニックでの測定では比較的低い測定値が得られているものの、拡張期圧は正常限界値であること、前記認定の高血圧性脳出血発症の機序に照らすと、現に本件疾病を発症させていることからしてその当時は既に脳の細動脈の病変をきたしていたはずであるし、証拠(乙一六、三二の一、三九、四〇ないし四四、証人澤田)によれば、北村クリニックでの測定では腎機能を示すクレアチニン値は正常範囲内にありながら、腎細動脈の高血圧性病変を示唆する尿蛋白が出現していること、本件疾病発症後の頭部CT写真では左大脳半球に陳旧性脳梗塞が、また同じく胸部CT写真では左心室肥大がそれぞれ認められていること、本件疾病発症後野崎病院では原告に対し継続的に降圧剤が投与されていることなどが認められ、これらの医学的根拠に基づいて証人澤田は原告の高血圧症を本件疾病発生当時第三期と判定する旨の証言をし、また、同旨の判定結果を記載した意見書を作成しているのであって、右証人澤田の判定は相当と解され、原告の主張は採用できない。

五  原告の業務と本件疾病発生と因果関係

右二ないし四に認定の事実により、本件疾病発生の業務起因性について判断する。

1  原告の日常業務の過重性と高血圧症の発生について

原告は、本件疾病発症前に、永年に渡ってダンプトラックの運転という過重な業務に従事してきたことが本件疾病の基礎疾患たる高血圧症を発生させたと主張し、業務の過重性の根拠として、稼働日数や労働時間の過重性、アルバイト業務の存在、自動車の整備、行事等への参加、休憩時間の不存在などのほか、ずり運搬業務の伴う精神的負荷の大きさ等を列挙している。

(一) たしかに、ダンプトラックの場合、車体の大きさや重量などから、その操作や事故防止に通常の乗用車以上の精神的緊張を強いられるであろうことは推測するに難くないところであるが、他方、前記認定のとおり、ダンプトラックの運転業務一般に脳出血の危険が内在するとの研究結果は得られていないし、原告が、ダンプトラック運転業務の精神的負荷が大きいことの根拠として主張するところは、運搬中のずり落下防止のための配慮や荷下ろしの際のトラックの破損、転倒防止の注意事項、走行時のパンク防止等のためのタイヤの点検などであって、いずれも、土木や建設に関係して大型の自動車を使用する運送業務に一般的に要求される当然の留意事項であり、原告にのみその精神的負荷が大きいというものではない。したがって、その業種自体から業務が過重であったとする根拠はない。

(二) 稼働日数や労働時間の点でも、別紙運搬状況一覧表によれば、本件疾病発症前三か月の期間(九二日間)中、原告の稼働日数は、終日場内常用としてしてずり運搬に従事しなかった日も含めて七〇日であり、右期間は途中に五月の連休による休暇(八日間)を含んでいることを考慮しても、週に一ないし二日の休暇は取っている。原告は、自動車の整備や行事で休日も出勤していたというが、原告が出勤したと認められる日は、いずれも仕事が続けて休みになった連休中の一日であって、通常の休日の出勤が恒常的となっていたものではない。

また、一日の勤務経過をみても、前記認定のとおり本件疾病発症前の一〇日間の勤務経過は、概ね午前七時頃までに出勤し、午後六時頃退勤するということでほぼ一定しており、それ以前の勤務もほぼ同様であったと推認できるところ、これによれば、一日一二ないし一三時間程度の休息時間(退勤時間から翌日の出勤時間)が得られているし、ずり積載中の待機時間のほかにも作業の合間をみて適宜休憩がとられていたことも前記認定のとおりであり、連続運転時間を制限している改善基準に反しているとも認められない。

原告は、業務の過重性の判断については労働基準法上の労働時間を基準とすべきことを主張するが、原告が同法上の労働者に該当するかには疑問があるうえ、業務起因性の判断は、発症した疾病の内容と業務の態様とを個別具体的に検討すべきであって、同法上の労働時間を判断基準とすることは相当でない。

従って、稼働日数や労働時間の点でも原告の業務が格別過重であったとする根拠は認め難い。

以上によれば、原告の日常業務それ自体が既に過重であったとする主張は、根拠がなく、採用できない。

2  運搬経路の変更による業務過重性について

原告は、平成五年六月七日以降、運搬先が変更となり、これによる走行距離の延長や右運送経路の変更に伴う負担(信号や下り坂の増加)が原告の業務の過重性を増大させたうえ、走行回数の減少が休憩時間の短縮をもたらし、減収につながることから多額の負債等を抱える原告の精神的負荷を増大させたと主張する。

(一) そこで、まず、右運送経路の変更が、原告の業務量を増大させたかについてであるが、確かに、運搬経路の変更により、一回当たりの走行距離数が延長されたことが認められ、別紙走行状況一覧表によれば、本件疾病発症日前三か月をみる限り、運搬先が変更になる平成五年六月七日より前の一日の平均走行距離(休日と場内常用日を除く。以下も同様)が約170.4キロメートルであるのに対し、同日から発症前日までの一日当たりの平均走行距離は約178.9キロメートル、とりわけ、発症前一〇日間の一日当たりの平均走行距離は約190.1キロメートルと増加している。

しかしながら、運搬経路変更後に原告がずり運搬に従事した日数は、発症日を除き一〇日間しかないのであって、過去の実績のうちの部分的な比較でいうと、平成五年三月一六日から同月三一日までの一六日間の一日当たりの平均走行距離は約188.9キロメートルであり、一時的には変更後の平均走行距離を上回って走行していた時期が認められるほか、運搬経路変更後の運搬日数一〇日のうち、178.9キロメートルを超えて走行している日が六日、190.1キロメートルを超えて走行している日が二日であるのに対し、運搬経路変更前の運搬日数五四日中、178.9キロメートルを超えて走行している日は二六日、190.1キロメートルを超えて走行している日が二〇日となっており、一日当たりの平均走行距離でみる限り、運搬経路の変更によって業務量が増加したとはいい難い。

(二) 次に、原告は運搬経路の変更により、信号や下り坂が増加した反面、休憩時間の減少を減少させたと主張する。

しかしながら、一回の走行で通過する信号や下り坂の増加は、その反面で走行回数の減少ということによってある程度補われているし、休憩時間も適宜にとられていたことからすると、右のような事情により、原告の身体的、精神的負担に多少の変動があったにせよ、これをもって業務が過重になったというのは誇張というべきである。

(三) さらに、原告は、走行回数の減少による減収への懸念が多額の負債を抱える原告の精神的負担を増大させたとも主張するが、原告の経済的事情は何ら業務の過重性とは関係がなく、右は主張自体失当である。

以上によれば、運搬経路の変更が身体的、精神的負担を増大させ業務を過重なものにしたという原告の主張もまた、根拠がなく採用できない。

3  乗用車の割込及び接触事故と本件疾病発症との因果関係について

(一) 前記のとおり、本件疾病発症当日、原告が、突然と感じられる乗用車の割込に遭遇し、追突を回避しようとして接触事故を起こしたとの事実が認められる。

原告は、右割込から接触事故に至る一連の出来事が、原告に極度の驚愕を与え、その結果血圧が上昇して、本件疾病を発症させたものであり、業務上の事故であるから業務起因性を有することは明らかであると主張している。

たしかに、右のような事態に遭遇した場合、極度の緊張から一時的に血圧が上昇することは経験上からも推認できるところである。

そして、脳出血が病変して脆弱になった血管の破綻によって起こること、原告の基礎疾患たる高血圧は第三期にあったと判定されること、そして現に本件疾病を発症していることからすれば、その当時、原告は高血圧症による臓器障害の一環として脳内細動脈の血管病変を来していたことが推認され、右のような極度の緊張にさらされれば、これによる血圧上昇によって病変した血管に破綻を来して脳出血に至り得ることは首肯できるところである。

(二) しかしながら、右接触事故現場と原告が辿り着いた生駒山上のガソリンスタンドとの距離は三キロ程度であり、右接触事故にもかかわらず原告はダンプトラックを停止させることなく走行を続け、しばらく走行した時点で左手足の麻痺を自覚したというのであるから、原告が接触事故を起こしてから、症状の出現を自覚するまでに要した時間は長くともせいぜい一、二分に満たない程度の極めて短時間であったと考えられる。

ところで、脳出血の症状は数分から数時間にかけて完成する急速進行型であるが、その経過は発症部位によっても異なり、視床出血の場合では、発症直後は無症状で、時間の経過とともに運動麻痺等が出現してくることが多いとされているところ、本件疾病は視床出血であり、接触事故後間もなく左手足の運動麻痺が自覚されているのであるから、右接触事故によって本件疾病を発症したとすると、その症状の出現は例外的に早く、視床出血の一般的な症状の発現経過とそぐわないことになる。

しかも、右の事故現場付近は、見通しのよい直線道路であるから、生駒インターチェンジから入ってきて進入路を走行する自動車が存した場合、本線を走行する自動車運転手が事前にそのような自動車の存在を視認し、これが本線に進入してくることを予見することは容易なことであり、まして、熟練した運転手である原告が、通い慣れた本件事故現場付近で右のような自動車のあることを見落とすということは、通常では考えられないことである。それにもかかわらず、現に原告が割込の乗用車を事前に認識できず、その進入を突然の割込と感じたというのは、すでにその時点で原告の身体に異常が生じていた可能性が高い。そして、視床出血の場合、しばしば一過性の視野欠損が発生することがあり、視野欠損を生じても本人の自覚がない場合が多く、原告の場合にも本件発症後の診断で左外転神経麻痺が観察されていることからして、血腫が下方に進展していた可能性が大きく、その場合医学的にも左側の視野欠損を生じていた可能性を肯定できるというのであるから、原告が進入してくる乗用車を突然の割込と感じたのは、単なる見落としではなく、既に発症していた視野欠損によるものと推認することにも十分な合理性が認められるし、むしろ、そう解することによって、その後の運動麻痺の出現経過を矛盾なく説明することも可能となる。

これに対して、原告は、短時間でも症状は出現し得るとして、「脳血管発作による局所症徴候は一分以内に完成するもの」もあるとする文献の記載(乙三五)を援用して視野欠損は生じていなかったと主張し、証人佐藤も、野崎病院のカルテにその記載がないことや本件疾病後に突然の割込や接触事故に遭遇したのだとすると、それによる血圧上昇によって、生命を失いかねない大出血に至るとして視野欠損の可能性を否定する証言をしている。

しかしながら、原告が援用する文献の記載は、前記の突発完成型をも含めた脳血管発作一般に関する記載であり、また、野崎病院搬送時原告は意識を喪失していたのであるから視野欠損の有無に関する検査は不能であったと考えられる。さらに、証人澤田は、ひとたび脳出血が起きると、そのストレスによって血圧は上昇するが血腫は進展しないのであって、脳出血発症後血圧を上昇させる事態があったからといって血腫が拡大するということはないと証言しており、発症後事故に遭遇したからといって、必ずしも証人佐藤の証言にあるような経過を辿るとは言い難い。

以上によれば、本件疾病が、原告が突然の割込とこれに続く接触事故に遭遇し、その結果発生したというよりは、むしろ、それ以前にすでに発症していた蓋然性が高いというべきである。

4 結局、本件疾病の発症は、原告の格別過重とは認められない日常業務の遂行中に、基礎疾患である高血圧症の結果生じていた脳細動脈の病変がその自然的な経過のもとに増悪して発症した可能性が大きく、業務に内在する危険が現実化して、その自然的経過を超えて増悪させた結果であるとは認められず、原告の業務と本件疾病の発症との間に相当因果関係があるとすることはできない。

六  したがって、本件疾病は労働基準法施行規則三五条別表第一の二第九号にいう「業務に起因することの明らかな疾病」に該当するとは認められず、これと同旨の理由に基づいてなされた本件不支給決定に違法はないから、その取消しを求める本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官松本哲泓 裁判官松尾嘉倫 裁判官森鍵一)

別紙運搬状況一覧表<省略>

別紙走行状況一覧表<省略>

別紙勤務経過一覧表<省略>

別紙休息時間及び拘束時間一覧表<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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